学校という名の牢獄。学生時代を振り返って思う事。 – Information Teaching Service 雄飛

学校という名の牢獄。学生時代を振り返って思う事。

こんばんは、脇保です。
今回は、少しばかりヘヴィーな話題を。

今、ニュースで茶髪禁止、地毛だろうと何だろうと黒く染めろという、
それが話題になってますね。

当方が学生(生徒というべきか?)時代にも、心当ることはあり。

そんなもんだと思う、日本の教育現場って。

あえて乱暴な言葉を使うと、生徒とか学生って、
酷いところだと、子供の教育を大量生産されるべきモノとして扱ってる、
位の勢いのところも、中学生時代、あった。
どことは言わないけど、中学時代の母校かな。

自分の担任はまぁマシなほうだったけど、
酷いところは酷かった。
教師も生徒も、荒れまくってた。

修羅場が毎日、ってやつです。

当時はバブルが弾けて、教育現場にも、その余波が容赦なく降りかかってきた、
と、今振り返ってみて、本当に思う。

バブルが弾けた、今は非常事態、だから、クラブ活動は勉学に不要だから廃止。
部活も廃止、となり掛けたが、顧問の先生方と生徒の猛反対で、
それは実現せずに済んだ。

一部には良い先生方もいたが、多くはそうではなかった。

校長に右向け右。
従わない先生は容赦なく、左官されたり村八分にされていたようだ。
酷いと、赴任後1週間で、どういう理由かは知らないが、
荒れている事で有名な学校に左官されるという、新人教師もいた。
記憶が定かでないが、その女教師は、朝礼で泣いていたと記憶している。

生徒も生徒なら、教師も教師。
本当ににどっこいどっこいで、どちらも荒み切っていたと思う。

そんな自分はというと、二つのグループから、徹底的にイジメやらリンチを、
毎日の様に食らっていた。

学校というものが牢獄でしかなかった。

例えば、教室で授業中に容赦なくリンチを食らう。

基本的に、助けようとする奴は先ず居ない。

我関せずか、冷笑して横目に見るか、煽るかの何れか。
教師は助けることはしない。
我関せず、で、まるで平常であるかのように授業を続ける。

それが毎日続く。

やられる奴は日によって違うが。

その中学の荒み切った現状を見て、自分は当時、
毎日のように、親やら教師やらに言ったものだった。

日本の教育は腐敗しきっている。
十年後、今に大変なことが起きる。

それが口癖だった。

実際は、10年待たずして、いじめを苦にした子供の自殺が、
毎週のようにテレビで報道される。
それと同じく、学級崩壊という言葉が当たり前のように、
テレビやら新聞やらで目にするようなる。

詳しい経緯は、その時は学生でも生徒でも無かったので
判らないが、詰め込み型教育から、ゆとり教育に変わっていた。

話はそれるが、個人的には、ゆとり教育は然程悪くないと思っている。
程度の差こそあれ。

ただ、やはり程度の差こそあれ、今でも、
荒んでいるところは荒んでいるんだろうなと思う。

道徳教育を捨てて、学力偏重にかじを振ったのが、
詰め込み型教育だと思っている。

その弊害として、頭は良いんだろうが、今のゆとり世代と比べると、
色々思う事はあったりする。

実際、6、7年ほど前に社会人学生をやって、ゆとり世代の学生に接してみて、
全てがすべてとは言わないが、世間一般で言われるのとは違って、
結構しっかりしたのが多かったと記憶している。

ただ、教育の現場は恐らく、これからも迷走を続けるだろうと思っている。

今、メードインジャパンが致命的なまでにズタボロになっている。
身から出た錆で信用地に落ちたと言うべきか。

これは恐らく、というか否応なしに日本経済に大きく、
黒い影となってのしかかると思う。

長い目で見たとき、このしわ寄せも、次世代を担うべき
子供たちへの教育方針として、少なからず大なり小なり、
影響してくるんだろうと思う。

その方針の良し悪しは別として。

日本は、本当におかしな国だと思う。

言葉は悪いが、
外面と見栄えは良いが、住むには窮屈を強いられる国だと思う。
色々な意味で。

本当にそう思う。

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