熊本地震 – Information Teaching Service 雄飛

熊本地震

お久しぶりです、脇保です。

久々の更新です。

先ず。

4月14日に起きた大地震、大変驚いております。

以前ドイツ旅行で知り合った、九州出身の学生さんの方々、
皆無事だろうか、皆大丈夫だろうか、大変心配しております。

被害の大きさが日に日に明らかになるにつれ、
本当に何もできないのが悔しいところですが・・・。
刻々とWebやニュースを通して刻々と情報が入ってきております。

大変な大地震が起きたという事、改めて驚きを禁じえません。

さて、私はというと、先週末に短期の案件の仕事が一段落し、
その前後に重なるように大地震が起きました。

なので、土曜日に一段落して、追われる様に情報収集して、
やっと大地震の被害の詳細を知った次第です。
今も、色々と忙しく、やる事に追われる日々・・・。

そんな、一段落ついて、今、何かできないかとブログを綴っております。

私自身の間接的な経験(阪神淡路大震災)から、
書けることを書いていこうかと思います。

95年とかなり前になりますが、
地震の詳細は割愛します。
要点だけ書いていきます。

車は、震災時、全く役に立たなかったと聞いております。
道という道は渋滞でまともに進まず、使い物にならない、と聞きました。
震災発生後何日から何日目頃が、そうだったかまでは覚えておりません。

次に、重宝されたのは、自転車とバイクです。
自転車とバイクを送ったところ、大変感謝されました。

※余談ですが、当時、平常であれば数日から1週間で届くものが、
数週間から一か月程の時間が掛かったと覚えています。

当時は電子メール等はまだ普及しておらず
(インターネットとWindows95(俗にいうWindowsPCとネット環境))が、
翌年にやっと発表されたといった具合。

まだ、固定電話とアナログ回線の携帯電話、という時代でした。
しかも、当時は回線がすぐにパンクしてしまい、現地には、簡単には連絡が取れず、
手紙のやり取りが唯一の連絡手段と化していました。

何かを送った後、数か月後に手紙届いて、「荷物がやっと着いた、ありがとう」、
と連絡が来る感じ。

それでも、現地では情報の混乱や情報不足、支援物資不足、瓦礫や渋滞等で車は使えず、
自転車やバイクが便りの綱、何を買うにも現金が便り、そんな状況が数か月も続く中、
手紙のやり取りで感情的な文面になることもあったようで、
両親と親せきが手紙でやり取りしたのか、復興後に揉めたのかまでは知りませんが、
色々とあったようです。

(当時は)水、ラジオ、懐中電灯、乾電池、下着等、衣類、レトルト食品(腐らずに済むかららしい)、
が、大変感謝された記憶があります。

カップラーメン等は、あっても、水があって、且つお湯を沸かせないと食べられない、
乾パン等はすぐ飽きる、毎日同じ、味のない物を食べるのは意外と苦痛、
的な事を聞いた記憶があります(被災時ではなく、数か月後の復興時でかも知れません
。記憶があいまいですいません。)。

同じく記憶が曖昧で申し訳ないですが、食べ物が不足しているからと言って、
賞味期限が短い物を送らないでくれと怒られたことがある気がします。

少なからず現地では混乱しているので、食べ物であれば、腐らないもの、長持ちするもの、等、
(他詳細失念)直ぐに届くと思って届けないでほしい、的な記憶があります。

95年というと、2016年現在より21年も前のことですので、
如何せん、当時とは状況も何もかも違うとは思います。
もしかすると、ブログで当時の事を書いたところで、何も役に立てないかも知れない。

ただ、何かしら、当時の経験、記憶が役に立てばとの思いで、書き記しました。

今後、何かしらのアクション、行動を起こせればとは思いますが、
今は、警察消防や、自衛隊や支援要請を受けた米軍等、
プロの方々が救援や災害支援要請で動いていると思いますので、
軽率な行動等は控えようとは思っています。

何ができるか判らない内に、何か助けになりたいと思って、
何か行動を起こしても、それが迷惑になるかもしれない。

だから今は、(自分が被災地から遠く離れて)何をすべきかも判らない、見えてこない。
そのような状況では、闇雲に安直に動いてはいけないと思ってもいます。

ドイツ旅行で知り合った、九州の知り合った学生さんたち、
本当に何もできなくて申し訳ない。

これから、冷静に情報収集して、出来る事、出来ない事、
すべき事、すべきで無い事を、探していきます。

皆、無事でいることを信じて。

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